「尾前 一日出」という人間
文:オノコボデザイン
アートディレクター 小野信介
僕が一日出氏に初めてあったのは2015年の夏。
十根川の古民家施設で行われた懇親会の夜。囲炉裏の端に座り猪肉を焼いている髭面の男。僕は、「ああ、これが椎葉筋金入りの椎葉の狩師だな。下手なことは言えないぞ」と思ったものだ。
その予想とは全く的外れではなかったのだけれど、尾前一日出という人間のほんの一面でしかなかった事を、その後イヤというほど思い知ることになる。彼の多方面に渡る活動は、まさに秘境、椎葉の森と同じように深淵なるものなのだから。

創る人
当時一日出氏が事務所としていた十根川地区の古民家を訪ねて話をきいた。
薪ストーブの温かさが有り難く感じられる頃だった。古民家の外壁には、カズラで編まれた籠や古い農具、鹿の角がかかっていた。
聞いたのは重要伝統的建造物群保存地区である十根川地区の石垣や古民家の価値について。
そして「何故椎葉に戻って一級建築士として仕事をしているのか?」という理由。それは、いろんな要素が含まれているようで、簡単には理解できない印象を受けたのだが、今なら何となく一日出氏の気持ちを理解することができそうに思っている。
それは「何故でもない」と言う答えだ。
彼にとって、椎葉で生きることは当然のことで、建築家を生業としただけのこと。「建築設計事務所は都会でなければやっていけない。」と言うのは単なる先入観。彼は自分にとって普通の生き方をしているにすぎないと言うことなのだと思う。

椎葉に暮らしながら一日出氏はさまざまの建築を手がけてきた。個人住宅、公共施設、そのどれもが、彼の椎葉での暮らし、幼い頃からの体験や村人たちから教えられた知識や教訓に裏打ちされている。
森や川で遊び、採取し、糧を得ること。その一つ一つが建物のデザインに機能に木材の知識に、構造に活かされているのだ。
当時聞いた話で、もう一つ印象に残っている話。自宅のある尾前にツリーハウスやジップライン、洞窟を探検したり川遊びができる森の遊園地とも言えるエリアを作ろうとしていると言う話。
ノートに描かれたスケッチは、ち密でワクワクするようなイラストに溢れていた。
一つ一つ説明する一日出氏は目を輝かせて、その笑顔は少年のように純粋だった。僕は、こんなに壮大なプランを、いとも簡単に実行に移そうとしている大人を見たことがなかった。
まるで少年のように。
大人になった「トム・ソーヤ」その時僕は一日出氏にそうあだ名をつけたのだ。

継ぐ人
一日出氏は椎葉の伝統的な狩猟の儀礼の伝承者でもある。
父、善則さんから受け継いだ狩りの作法は、単に獲物を仕留めるためのものではない。
例えば「サカメグリ」は古い暦にのっとって一定期間、狩りのできない方角を設けるしきたりだ。
シシ狩りは命を奪う行いではあるが、決して皆殺しにはしない。必要以上に殺生しないと言うことを儀礼として定め守ってきたのだ。
山の神に獲物の内臓を捧げることや、肉を分配する作法など、それらは全て自然界の中で分け前を授かりながら生きる人間に、「嫌虚であらねばならない」と言う教えを説いているように思える。
自然界と人間の暮らしのバランスを保つこと。否、伝統的な作法が廃れてしまった今となっては少しでもそのバランスを取り戻すこと。一日出氏が先達の教えを継ぐ意味はその辺に有るように思える。

伝える人
一日出氏が今、力を注ぐ事。それは、自分が生まれ育った椎葉、尾前の「自然」「伝統」「暮らし」を遊びを通して子どもたちに伝えること。
尾前里山保全の会を立ち上げ仲間たちと共に、大人も楽しみながら活動する。ツリーハウスやジップラインや炭焼き小屋や川遊び場を整備して、村外からも人を呼び込んでいる。
言葉で伝えるものではない。手仕事で伝える。作り上げた舞台で伝える。食べ物で、体験で五感で伝える。一日出氏の伝えようとしていることは、田舎と都会をつなぐメッセージであり、通り過ぎた時代と未来をつなぐ「今」であり、自然と人間には共通の「命」が宿っているという事ではなかろうかと、僕は想像している。

